格ゲー初心者、ギルティギア Xrd について語る。
こんにちは。
今日は、去年の12月の発売から今に至るまで半年もの間ハマり続けている、ギルティギアXrdというゲームについて語ります。熱く。
このゲームは格闘ゲーム、略して格ゲーです。更に言えば、その中でもコンボゲーというジャンルの始祖にあたるシリーズで、その最新作です。
自由度とスピード感、そして攻めが有利なゲームバランスがウリ。
この辺までがwikiとかに書いてある情報。
元々格ゲーに興味はあったんだけど、やる機会が今までなく。
別のゲーム用にPS3でアケコンを買っていたので、ギルティの発売をこれ幸いとばかりに格ゲー入門しました。
しかし、格ゲーの世界は甘くない。特にギルティは。
10年前からシステムや操作感があまり変わっていないから、その頃にやり込んでいた人たちが、新作でも鬼強い。彼ら今ではアラサー〜アラフォーのギルティプレイヤーのことを言うギルティおじさんという言葉まであるくらいに、経験がものを言うゲーム。
買って3ヶ月くらいは、wikiなど熟読して動画見まくってコンボや立ち回りある程度できるようにしても、ろくに勝てなかった。
初心者サーバーでも数十連敗当たり前な日々が続いた。
それでもやり続けてたら、気づいたら今まで勝てなかった相手に勝てるようになっていた。できなかったことができるようになっていた。
こうなると楽しいもので、今でもまだまだ負けることの方がよっぽど多いが、たまに勝てるようになってきた。
ただまあ、ぼくの場合は有り余る情熱で挫けずここまで来れたけど、
ふつうの人は、こんな格ゲーなんかやり込む前に心折れてやめちゃうんですよね。
ちゃんと動かせるようになれば、もうとても奥が深くて対戦が楽しくなるんだけど、
格ゲー初心者が対戦すると、ろくに操作もできずボロ雑巾のように圧倒的差をつけられて負けてしまう。それじゃ新規増えんわ。格ゲーに未来はないわ。
というわけで、格ゲー、特にギルティ、の楽しさを、ブログで伝えられたらいいなあということを、ちょっと考えています。
わかりあえないことから 平田オリザ
ももクロが出演する映画として話題になっている「幕が上がる」。
あの演劇を扱った映画、の原作本を書いたのは平田オリザという人です。
彼は何冊か演劇・コミュニケーションに関する本を出していますが、
その最新のものがこの「わかりあえないことから」という本。
まだ全部ちゃんと読んでいないのですが、
その中に、こういう箇所があります。
「本当の自分なんて見つけたら、大変だよ。人間は玉ねぎのようなもので、その人のペルソナ(社会的人格)一つ一つがその人なんだよ。」
そんな感じのことを最後に言っています。
そして、日本社会でやたら否定されがちな「演じる」ということを肯定して、「演じる」ことを楽しんでほしいというのが彼の意見です。
なぜそうなるのかは実際読んでみてほしいのですが、
こういう考えに触れると、なんだか救われる気がします。
本を読むのは好きだしタメになると聞いていたので、本を読んではいて。でも、いろいろな本を読んでいろいろな考え方を知っていることに何の意味があるのかさっぱりで。
もしかしたら、見識が広ければ広いほど、人は人に少し優しくなれるのかもしれません。
だとしたらば、ぼくはもう少し読書を好きになれそうです。
浮いている。
夜、家に帰ってきた後。
筋トレとかやってからお風呂に入ろうと思って、
いつもお風呂に入らず歯も磨かない。
それがいつしか習慣化し、最後に寝る前にお風呂に入ることができたのはいつかなんてことは忘れた。
最後に筋トレしたのがそれよりもっと昔だということだけは覚えている。
そんなだから、歯にまずいことをしている。自覚はある。虫歯の感覚にも慣れたし。
ただ、歯医者は予約できていない。木曜が休診日だから、木曜日を避けていたら、それで数週間だ。
まあ、本当は、電話をかけるのが面倒なだけとも言えるのだけれど。
amazonで注文した本ばかりが積まれていく。
コミュニケーションに関する本やエッセイは開けても、投資の本は開かない。
何冊頼んでもそれはあまり変わらない。
バイトをなんとかこなすだけで、キラキラした感情がない。失われた。
数ヶ月前ならできたナンパもする気が起きない。LINEも赤い丸が点滅しない。
就活サイトは開けない。ぼくには何も武器はない。手詰まりだ。
そして、周りの世界から、浮いている。見慣れた部屋の壁は、分厚い透明な膜のよう。
死ぬことは、何年も考えていて、そして死ねないという結論に至っている。自分の中だけでの話し合いはもう済んでいる。
だからこそ、より良い生を生きなきゃと、2000年以上前に生きてたギリシャ人みたいなことを考えて生きてる。
でも、より良い生とかよくわからんし、そんなこと考えてるからこんなんなってるんじゃないのとも思う。
フラフラで、自分がなく、薄っぺらい。
薄っぺらくフラフラなまま、お風呂に入り歯を磨きご飯を食べることにしよう。
syrup16gのことを話せる自分になろう
ぼくは一人のときにクソネガティブです。
まあそんな性質だからネチネチブログなどやっているのですが。
俺はマジで根が暗いやつだと、
表では笑顔振りまいても裏ではこんなんだと。
嫌だなと思い、そこに甘えながら、もう十何年。
別にみんな一人でいるときも明るいわけではないんじゃないかなと、ふと気付きました。
むしろ、合宿などで周りを見た感じ、他の人の方がスイッチオフのとき暗い顔してる。
死にたいとかネガティブな歌詞ばかりのsyrup16gというバンドがある。
もう何年もずっとそのバンドが好きで、そのバンドが好きでそればかり聞いている自分はどうしようもなく暗いやつだと思っていた。
明るい人が羨ましかった。
でも、みんないつも明るいわけではない。冷静に自分を特別視しないで考えれば、それが当たり前だ。
サークルの友達を思い出してみる。
いつも面白くてみんなの輪の中心になっているゴリラみたいなやつがいる。ゴリラみたいというか最早ゴリラというか。
そんなあいつでも、暗いときはある。よく考えるとちょいちょいある。何年も一緒にいて近づけたから、そういう顔を見られた。
みんな悩んでるんだ。引きこもっていた時は、人との関わりなどないからわからなかった。でも、みんな確かに悩みを抱えて、それでもなんとかやってるんだ。
一人のときにクソネガティブなのは、別に普通のことなんだ。
努力できない言い訳にネガティブを使うのはやめよう。
朝起きられない言い訳にネガティブを使うのはやめよう。
時間に遅れる言い訳にネガティブを使うのはやめよう。
みんな同じだ。
エーリッヒ・フロム「愛するということ」
読みました。
「愛は技術である」
"the art of loving"というのが原著のタイトルですが、
そういうことを主張しています。
帯に女優の杏が推薦文を載せているのですが、
杏が読んでいるイメージがあるだけで大分取っ付き易くなる気がしますね。
愛は技術と言い切り、愛されることばかり望んだり愛したくても相手がいなくて・・・というのをバッサリ斬っているのが新鮮でした。60年前の本なのに笑
また、新鮮なだけでなく骨太でもあります。
「はじめに」のところで、安易な答えを求める人を以下のようにいきなり追い払いにかかります。
「この本は読者にこう訴えるーー自分の人格全体を発達させ、それが生産的な方向に向くよう、全力をあげて努力しないかぎり、人を愛そうとしてもかならず失敗する。」
かならず失敗するですよ、かならず笑
全部読んだ後でもう一度振り返ってみて、まあ確かにそのくらい難しいことだなとは思いましたけど。えぐい。
中身は、理論を語る理論篇だけでなくじゃあどうすればいいかを語る習練篇まで用意してある徹底ぶりですが、
読んだからすぐにどうこうなるシロモノではないです。
レベルの高いものは得てして抽象的にならざるをえないということですね。
ただ、考えていくためのヒントは散りばめられていて、そこだけでもとても価値があると思います。
たとえば、愛は一時的な激しい感情ではなく、本質的には意思に基づいた行為であるべきだ、とかね。
愛の定義・条件をいろいろと語っているわけです。
愛の前提条件としては規律・集中・忍耐・関心があるとか、
他にも、客観的に考える能力=理性、自分自身や自分の愛を信じること、そして信じるための勇気、などが必要だと。
前提条件を満たすのがとても大変!
愛するということが、この現代社会でいかに難しいことか。
そんなことできるのは殉教者か狂人くらいだと本の中でも言われていますしね。
フロムの本は哲学書の類の中ではかなり読みやすい方ではありますが、
それでもその手の議論に慣れていない人には読むの大変な部分が結構あると思うんですよね。
自分で考えることが多くて、ぼくも正直まだ消化仕切れていないしまた何度も読み直すだろうなって、そんな本です。
とはいえ、本格的な哲学書を読むのはしんどいけどちゃんとした読書をしたい、それでも自分の興味ある内容で。
そんな人には、エーリッヒ・フロム「愛するということ」。オススメです。
十万パズドラに注ぎ込んだぼくが、パズドラの魅力を語ります。
こんにちは。
気がつけばパズドラへの課金額が十万を突破していました。feeです。
もう初めて2年になりますが、途中飽きた期間もありつつ、なんだかんだで毎日続けています。
ぼくは元々結構ゲーム好きなのですけど、パズドラをやるつもりはありませんでした。
プレイステーションやWiiなどのゲームをどっかりやっていた自分が今更スマホでゲームやることもないだろうと、スマホゲーを舐めていたのが一点。気取ってますね。
そして、万が一ソシャゲにハマったらどうなるか目に見えていたのが一点。ギャンブルやっちゃいけない人だからね。
それなのに、授業中に大学の友達が楽しそうにパズルしているのを見て、ついついインストールしてしまった。
他人のやっているゲームとは酸っぱい葡萄だなと思います。
やっているのを見ている内は面白いけど、自分がやってみると意外とそうでもない、そんな体験皆様もあるあるなのではないでしょうか。
しかし、パズドラの場合は、自分がやっても面白いレアケースでした。
パズドラのすごいところその1:導入がしっかりしてる
スマホゲーを続けさせるポイントは、導入から次の日起動するまで、というところに異論を持つ人はいないでしょう。
パズドラを続けている間にも他のゲームをいくつかやってみましたが、その多くはインストールした翌日には開くのもアホらしくなるものばかり。
元々ゲームなんてものは冷静になるとアホみたいなもので、そこに価値を見出すのは人間です。
ゲーム=信用。 信用=価値。 貨幣=信用。 よってゲーム=信用=価値=貨幣。
「つまり!!ゲームってのは貨幣の最先端だったんだよ!!!!」
ΩΩΩ<<<「な、なんだってー!?!?!?」
はい。
で、パズドラのすごいところは、チュートリアルがしっかりしてるわけです。わかりやすいし、サクサク進む。レベル(ランク)がすぐ上がってどんどん進める。
それで、ゲーム側で区切りを設けるのではなく、やりかけの状態でプレイヤーが自分から区切りつけてその日のプレイを終えるようになっている。
これがすごい。
おまけに周りもやっていることが多いから、次の日もなんだかんだでやる。話のタネにもなる。初対面の人とのコミュニケーションにも共通の話題として活きたりする。女の子ともパズドラを口実にLINEゲットできたりする。まあ、すぐブロックされたけどな!!俺だよ!!!
はい。
パズドラのすごいところその2:ゲームバランスが整っている。
今では当たり前でもパズドラが先駆者みたいなものはいっぱいあるのですが(曜日ダンジョン・ゲリラetc)
3年やってる癖にゲームバランスが整っているのはすごいと思います。
最近は少しインフレ気味ですが、別に自分の持っていない強いキャラがいようと自分のペースで攻略していく分にはあまり関係ないですし。
あと、最強談義というか、「これをこうすると強い」とかそういうことを話すのって、男の子みんな好きだと思うんですよね。
そのしがいがあるというのが、廃課金者にウケているのかなと。
ぼくみたい中課金者?レベルでさえ、パズルすることよりもガチャ引く方が正直楽しいですから。ガチャで金玉(レア確定の卵)出る瞬間がきもちいい!
また、「何曜日はこれをこのくらいやって何個集まったら次はこうして・・・」
とかいろいろ考えて調べないとスムーズに進まないので、コツコツ育てるのが好きな人にも向いてると。
それで、そうやってコツコツやるのが面倒くさい人は、ちゃっちゃと課金すると考えたり我慢しなくて済むよと。そういうゲームです。
そうやって我慢しないで楽しんだ結果が、月末のクレジットカード明細なわけですが。
まあ、欲しいキャラも揃ってきたので(昨日ようやくハク当たった(^^)満足!)、もう十万も掛けてるわけだし、そろそろ課金は控えようかなって思いますね。
親にももうお金使わないって言ったしね! 貯金して留学費用にあてるぞ〜(^^) といっくで良い点とって西欧漫遊するぞ〜(^^)
え、曲芸師って回復2コンボで7倍!? しかもサブはパンドラ詰めとけばいいだけ!? マジかよクソガチャ最低だな!!!!(itunes cardポチィ)
〜終〜
「自分に起こったことはすべて自分に責任がある」
以前は意識していたことだったが、
普通に大学生として生活をしている中で、忘れてしまっていた。
他人と接する上で自意識は邪魔になるから、自分という個が薄らいでいたという感じで。
一人暮らしじゃないから親に任せていれば勝手にご飯が出てくるというのもある。
自分のことは、自分でなんとかしないといけない。
誰かがいつかなんとかしてくれると思っていては、いつまでも解決しない。
時間が経つだけだ。
この一年で一番学んだことといえば、それだろう。
無為に没する生活で、学びがなかった。
自分で自分を管理する。自分で自分の人生を切り開く。
そういう意識を持たなければ、いつか来る誰か、何かに委ねている内は、何も変わらない。